KENYA

POLE POLE TRAVEL



初めてケニアに行った2000年の旅行記です。

今でも鮮明に覚えていて、本当に楽しく素晴らしい旅行でした。マサイマラの風を感じてください。

 

TWENDE!! 憧れの大地へ(Sep. 2000)

Chapter

出発  ナイロビ  マサイマラ  サファリ  サファリ2  マサイ

ムパタ・サファリ・クラブ  ブラックライノ  サバンナ  アフリカの水

 

 

出発

 2000915日。僕にとって待ちに待った日だった。子供の頃からの憧れの大地アフリカへ旅立つ日だった。それまでに何度か海外旅行をしてきたのに、その日は妙に心の高ぶりを覚えた。初めて海外に出た時とはまた違う、落ち着いているのに心が騒ぐような感覚だった。長年の夢がもうすぐ叶うと思うことで心が高揚していたのだ。

 ナイロビまでのフライトはシンガポールまでNH(全日空)で行き、そこからEK(エミレーツ)でドゥバイ、ナイロビと乗り継いで行くものだった。賞味26時間ぐらいかかったが、その行程さえ楽しく思えた。EKには初めて乗ったのだが、機材、サービスともに良く、快適なフライトだったことも要因の一つであったのは間違いない。特にEKではイスラムの国の航空会社ならでは、の民族性に配慮した事柄が感じられ、新鮮な感動を覚えた。一つは搭乗に際して、インドネシア人、その他イスラムの人達の順に、最後にそれ以外の人達が乗り込むと言ったことや、飛行機のモニターに時々映る、飛行機と何かの位置を示すディスプレイがあって、それはたぶんメッカの位置を示しているのだろうと推測された。事実、その後EKのフライトアテンダントの方に聞いたら推測通りだった。たまたまドゥバイまで僕の隣にイスラム圏の夫婦がいて、ふとした時に、奥さんがおもむろにショールを頭に被せ、静かに手をあわせてお祈りを捧げ始めたのを見て、畏敬の念に近い感動を覚えた。その姿に美しさと力を感じたのだ。そして、機内のカーテンで仕切られた奥では、きっと信者達がメッカに向かってお祈りをしているのだろうなって思った。それは僕にとって、大きな力として感じた。またある種の美しさ、敬虔な心、純粋さを感じたのである。異文化の接触によるカルチャーショックと言うにはあまりにも短絡過ぎるし、宗教の重みを感じたと言う訳でも無く、人間の持つ美しさ、強さの一面を感じたと言うのが正確な表現に近いと思う。宗教を持たない僕にとって、そのインプレッションはとても強かった。しかしその逆に、宗教に拘束されず、自然の摂理に従って判断する生き方をしようと思う自分がいるのも確かだった。

 

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ナイロビ

 ケニアに降り立った時の印象はさほど良いものではなかった。全てが茶褐色で、およそ美しいとは思えなかったのだ。乾燥して荒れた大地と言った印象だった。正直に言って、今後の旅行に不安を持ったのも事実だった。

 初めてのケニアと言うことと、来る前に散々治安が悪いと聞かされたこともあって、ツアーを利用して来たのだが、それは個人ツアーと言っても良いぐらいのもので、ナイロビに着くまで同行者がいるのかどうかも知らない状態だった。逆に一人の方が良いなと内心思っていた。結局、僕の他に三人いたのだが、一人は僕と同じロッジに、二人は別のロッジに滞在するのが分かった。ツアーと言っても団体行動と言ったものは殆ど無いに等しく、僕の望む通りだった。初日はナイロビでの滞在。現地係員に街中は本当に危ないので歩くのならくれぐれも注意してくれと念を押された。でも、とにかく歩いてみたいと僕は思っていた。現地の人達と同じ空気を吸ってみたかったのだ。

 ホテルに着くとさっそくシャワーを浴び、移動の疲れと汚れを落とすことにした。その後、一息ついて市街に出ようと思っていたら、電話が鳴った。先ほどロビーで別れた二人からだった。ナイロビ博物館に行ってみないかと誘われたので、別段目的も無かったからOKした。なにしろ「地球の歩き方」をざっと目に通したぐらいで、何処に何があるのかも知らなかったのだ。まあ、歩いていれば何かあるだろう、と言うぐらいにしか考えてなかった。そう言う訳で、誘ってくれて丁度良かったのだ。

 ロビーで落ち合い、それからタクシーで博物館に向かった。博物館に着くと、1時間後に迎えに来る約束を運転手と取り付け、僕たちは中に入った。博物館は素朴な感じで、多くの種類のアフリカに生息する鳥や動物、魚類等の標本やアウストラロピテクスの骨や住んでいたであろう頃のイメージが展示されていた。それ以外に、アフリカ民族の衣装や飾り、武器や政に使用された細工を施された骨等もあった。別棟にはケニア鉄道やケニアの歴史を物語る資料や物が展示してあった。館内には御土産コーナーもあって、絵葉書や本、ビーズの飾りや置物等が売られていた。彼女達はまだ来たばかりだからとか言いながらも、真剣な眼差しで葉書を選んで購入した。その姿が妙に可愛い気がした。

 1時間はあっという間に過ぎ、博物館から出るとタクシーの運転手が白い歯を見せて待っていた。特に予定もなかったので、とりあえずホテルに帰ることにした。途中、交差点に近づくと運転手が窓を閉めるように言った。車が停車すると、子供や女性の物売りが車に近づいてきて、さかんに新聞を売ろうとした。もし窓が開いていたりすると、手を差し込んで、バッグをひったくる者もいるらしいのだ。僕らは彼等を無視することで諦めてもらうしか方法がなかった。運転手は慣れたもので、信号が変わると彼等が側にいようが発進させ、彼等もさっと散るようにその場を離れた。

 ホテルに戻っても僕らはそのまま部屋に戻る気は起きず、とりあえず円柱の背の高いビルに向かって歩いてみることにした。そのビルはコンファレンスセンターだと後で分かったが、それさえも知らないほどの知識しか僕にはなかったのだ。少し行くと左手に教会らしき建物があって、なにか騒がしかったので足を止めた。どうやら結婚式らしかった。白いウェディングドレスを着た新婦と黒のタキシードの新郎、そ のまわりを取り囲んで着飾った家族や友人らしき人々がいた。道路を挟んで右からも、賑やかな音楽が聞こえていた。何かバザールでもやっていそうな雰囲気であったが、さすがに入っていく勇気はなかった。頭に叩き込まれた「ナイロビは危ない」と言う意識がそうさせたのだ。しかし、それは大切なことなのである。海外を旅行する上で、未然に危険を避けるのは重要なことなので ある。何も知らないのに、ただ好奇心だけでずかずかと入っていくことは避けるべきなのだ。もし危険な目に会わなかったとしても、それがその土地の人々の心情を害したり、宗教を蔑んでいるかのように思われたりする場合だってあるのだ。何も知らないのに飛び込んでいくのは無謀であり、結果的に良い経験をしたとしても、それはただ運が良かっただけなのである。リスクに対して軽く考えすぎている旅行者が多いような気がするのは僕だけでないはずだ。

 僕らが歩いているのはシティホール通りだった。すぐ先にシティホールがあり、その側の街路樹にコウノトリが巣を作っていた。二人の女性の一方はコウノトリに興味を示し、カメラを向けていた。実は彼女は鳥類の博物館の学芸員だったのだ。ケニアに来る口実は、カンムリヅルを見るためだとのことだった。先ほど行った博物館で、鳥の標本を注意深く見ながら、僕らに説明もしてくれた。コウノトリは翼を広げるとかなり大きく、人間の大人ぐらいあるのではないかと思われた。街路樹の周りには白い糞があちこちにべったりと道路にくっついていた。あの大きさの鳥の糞であるから、かなり大きいと想像できる。それが、頭の上に落ちたとしたら、まさに爆弾である。シティホールがシットホールと呼ばれるのにそう時間はかからないだろうな、などと馬鹿なことを思ったりした。まさにコウノトリはウンを運んでくるのだと。しかし、このジョークは日本人にしか通じないなと一人思いながらにやにやした。彼女達にそれを見られなかったのは幸いだった。

 突然、賑やかな一団が向かってきた。音楽と一緒に何台かの車の後にマイクロバスが続き、コンファレンスセンターの敷地に入っていったのが見えた。マイクロバスの中には何人もの白人の姿が見えた。バスの側面にシールが貼ってあって、よく見ると「コンチキツアー」と書いてあった。僕らは反対側の歩道に移り、コンチキツアーが来た方向に向かって歩いた。ふいに、両足の無い男性が近寄ってきた。物乞いだった。その姿を見ると普通に働くことは出来そうにないのは分かったが、見て見ぬ振りをして足早にやりすごした。ここナイロビでは健康であっても職の無い人々がごまんといて、もし少しでも金銭でも渡そうものなら我も我もと囲まれかねないし、運良くその場を離れることが出来ても、追いはぎやかっぱらいに狙われかねない。つまらぬ同情はしない方が良いのである。ナイロビにはナイロビの暮らし方があるのだ。現に彼等は生きているのだ。前に「アフリカ日和」と言う本を読んだことがある。ナイロビやケニアでの生活を綴ったものであるが、そのあたりのことも書いてあって、もし興味があるのなら一度読んでみると良い。

 三人ともに妙な緊張感を感じながら歩いていた。それは言わなくてもお互いに分かった。僕らは完全に街の中で浮いた存在であった。行き交う人々は皆黒人で、観光客らしき人影は全く見えなかった。人々の視線が感じられ、場違いな所にいるような気がして仕方なかった。僕も一応男であるから、何かあった時は彼女達を守らなければなどと決心しつつ、何食わぬ顔をして歩いた。バッグを抱きかかえるようにして持つ彼女達の姿からも、緊張感が伝わってきた。今まで旅をしてきて、こんなに緊張感を感じたことは無かった。何処に行っても割りとすんなりと現地に入っていけるのであるが、この時ばかりは違った。僕らは明らかにエイリアンであった。しばらく進むとバスを待つ人々の姿や、小さな新聞売りのBOXがあって 、その先が交差点になっていた。ふと足元を見ると紫色の花弁が沢山散らばって落ちていた。上を見上げると、大きな木の枝に小さな花が咲いていた。ジャカランダだった。ケニアの春を告げる花である。ケニアは雨季と乾季を交互に繰り返す気候であるが、それでも若干の季節のようなものがあって、9月から10月頃にジャカランダが小さな紫色の花を咲かせるのである。赤茶けた土地しか見えない中で、その紫色はとても可憐に思えた。

 ナイロビの僅かなスリリングな体験は、本当は僕らがただそう思っていただけであって、特に危険ではなかったのかもしれない。ただ、この街にはこれまで味わったことのない威圧感のようなものを感じた。それは他の人種の姿を確認出来なかったからかもしれない。否、それだけでなく、やはり人々の視線を感じていたからだ。都市にありがちな無関心ではなく、感情の無い、ただ異質なものを見る視線だった。体格に勝る彼等に圧倒されていたこともあるが、孤立を感じずにはおれなかった。でも、それも僕ら自身がナイロビに来る前から築いてしまった壁の隙間から、彼らを覗こうとしていたからなのかもしれない。過剰な情報が僕らの潜在意識の中でイメージを作り出していたのかもしれない。ただ言えるのは、ナイロビは他の都市には感じられない何かがあった。

 

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マサイマラ

 双発プロペラ機のエアケニアは土煙を上げながら乾いた大地に降りた。窓から黄色く枯れた草原に十二、三頭のシマウマの姿が見えた。飛行機が完全に止まってからシートベルトを外し、深呼吸をした。はやる気持ちを抑え、憧れの大地を踏みしめる前の心の準備をするためだった。タラップを降り、土が剥き出しの滑走路に降り立つ。「ついに来た。」僕は心の中でつぶやいた。視線の先には何台かの四輪駆動車と出迎えに来ている何人かのロッジのスタッフの笑顔があった。僕は一旦立ち止まると、振り返って飛行機の方を見た。ブウンと言うエンジン音の中で、機体から僕らの荷物を降ろしている姿が見えた。それからまた前を向いて一歩一歩確かめるようにゆっくり進んだ。靴の裏側からも硬く締まった土が感じられ、進むたびにザッザッと音を立てた。「ジャンボー」と明るい声が僕を出迎えてくれ、「ジャンボー」とそれに応えた。その笑顔はナイロビで見た人々の表情とは全く違った。それは営業用の笑顔以上に、陽気で親近感があった。ふと、その笑顔の後ろに穏やかに微笑む小さな白い顔が見えた。それが、これから滞在するロッジのオフィサーであるのはすぐに分かった。「こんにちは」僕は彼女に挨拶した。「こんにちは」彼女も満面に笑みを浮かべて言った。「マサイマラによう こそ!!」

 ロッジへの道のりはまさに感動的だった。滑走路から少し離れ、干上がった小川を渡ると、そこにはまさしく動物の王国が待ち構えていたのだ。まず初めに出迎えてくれたのはトピの群れだった。車はその群れの中をゆっくり進んだ。あと少し手を伸ばせば届きそうなぐらいにまで近付くこともあり、我を忘れてきょろきょろと見回していた。僕の心は既にマサイマラに捉えられてしまっていた。次にシマウマが見えた。距離はあったが、誰もが直ぐに分かった。しばらく行くと木の枝を組み合わせた壁が見えた。マサイ族の村だと、オフィサーの女性が教えてくれた。村の周りには何頭ものヤギと真っ赤な ケープを羽織った人物の姿が遠くに見えた。そのケープの色は赤と紅の中間ぐらいでとても目立った。車に気付いたそのマサイが手を振った。するとオフィサーも手を振り、「マサイはとても友好的で手を振って挨拶してくれます。こちらからも手を振って応えてあげて下さい。」と言った。その言葉に、僕らはまるで小学生のように従い、手を振ったのだ。

 車は山道に入り、急なカーブを何度も曲がり登っていった。インパラの姿も見えた。ほぼ山頂に近付いた時、道の向こうにゲートが見えた。「お疲れ様でした、もうすぐ到着です。」と言う声にようやく平常心に戻った。

 実は僕には不安な気持ちになってもおかしくないことがこの時既に発生していた。それと言うのも、飛行機を降り出迎えてくれる中で、僕だけがブッキングリストに載っていなかったのである。オフィサーはそのことに当惑した顔を少しもみせず、他の人達と同じようにロッジまで連れていってくれたのだ。本当なら不安な気持ちになってもおかしくない所だが、全くそんな感情は無かった。確かにツアー会社の書類を持っていたこともあるが、それ以上に不安感を与えない彼女の接し方によるものだったと思う。 ロッジに着くと彼女はすぐにナイロビの事務所に確認を取り、何の問題も無く僕はロッジに滞在することになった。

 ロッジはムパタ・サファリ・クラブと言って、アフリカでは唯一の日系のロッジである。計画当初は他のロッジにしようかと思っていたのだが、価格面で少しだけ安かったのでそうすることにしたのだ。日系だと言う事で、やはり滞在者の殆どが日本人観光客だった。それまで、旅と言うと一人旅中心でなるべく日本人との接触を避けていたが、此処での滞在はまったくプライベートと言っても良いぐらいで、気にならなかった。それは全てのゲスト・ルームがコテージタイプであったことと、何よりもコテージの前に広がる素晴らしい景観にあった。サバンナをマラ川が蛇行して流れ、はるか遠くまで見渡せ 、遮るものは無かった。その雄大な景観を目の当たりにすると、どうでも良いことと思えてくるのだ。

 すぐさま眼前に広がる景色を楽しもうとコテージを出た。真っ青な空と真っ白な雲、褐色の大地、ピリピリと刺す日差しのわりには暑いと感じない気温。僕はテラスの先端に腰を下ろし、全てを感じ取ろうとした。鳩ほどの大きさの、ツバメのような鳥が空中を滑空するように飛びまわっていた。そのスピードはとても速く、近くをすり抜けた時に、風を切る音がブンと鳴った。マサイマラに来た。僕は全身でそれを感じていた。

 しばらく景観を楽しんでから、ふと思い出し部屋に戻った。バッグを開いて1本の瓶を取り出す。ワイルドターキーだ。日本から持ってきたそのウィスキーで、広大なサバンナを見ながら祝杯をあげようと言うのである。僕は部屋に置いてあるグラスにウィスキーを注いだ。それからグラスを持って表に出た。太陽光でグラスの液体が美しく黄金色に輝く。サバンナを目の前にし、僕は指をグラスに差し入れた。そして、その指を空中に向かってピッピッと弾いて液体を散らした。それを3度繰り返し、グラスを軽く額の高さにまで上げこの瞬間を祝い、ウィスキーを口に運んだ。最高の気分だった。僕は、マサイマラにいた。

 

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サファリ

 15:00。いよいよ待ちに待ったドライブサファリだ。同乗者はケニヤッタ空港から一緒の男性と、別のツァーであるが、同じ飛行機で来た二組の夫婦だった。僕を含めた計六人は、少々くたびれたTOYOTAランドクルーザーに乗った。天井は無いが、もともとはオープンタイプではなく、サファリ用に改造してあるようだった。とは言っても、単に天井を取り外し、ロールバーで補強した程度である。白地に下半分が茶色のこの車は見た目は地味であるが、ドアの横にペイントされたカメとUの字にそれを取り囲むヘビの絵が格好良かった。それこそがムパタ・サファリ・クラブのマークである。この絵はティンガティンガと言うアフリカ文化に根ざした絵を芸術の領域にまで高めたムパタ氏の絵からくるものだった。当然、ロッジの名は氏の名を借り受けたものだ。ドライバーはウィリアムさんと言って、とても陽気な人物だった。

 車はロッジに来た道を逆に走り始めた。少し行くと、もうシマウマやインパラの姿が見えた。保護区の外であるが、境界を決めているのは人間であって、動物たちにはそんなこと、お構いなしなのだ。ただ、今年の乾季は物凄く、例年になくロッジ近くにまで草を求めて上がってきているらしかった。少し行くとマサイが自転車に乗って上がってくる。手を振って挨拶した。この急ででこぼこの坂を登る体力にも感心した。前方に風車が見えてきたところで、右にぐるりと回り、坂を下って小さなクリークを渡る。そこでは、マサイの女性が洗濯をしていた。そこから丘を登っていくと、来た時に見たマサイ村が見えてきた。その手前を左に入ると滑走路に向かう道だが、曲がらずにまっすぐ進んだ。マサイ村の横を通り抜ける。何人かの子供たちが一斉に手を振ってくれた。それがまた可愛かった。丘を越えると岩道に変わり、その後すぐにまた赤土に変わった。すると向こうに、ゲートと風車と緑色の屋根が見えてきた。オロロロ・ゲート。この先がマサイマラ自然保護区だ。とは言ってもゲートはあるが、右も左も何も無く、どこからが境界なのかさっぱり分からなかった。すぐさきほどまで、マサイの人々やマサイのウシやヤギがいた同じ大地なのだ。

 ゲートの前で車を停め、ウィリアムさんが外に出てレンジャーらしき人と何やら話し始めた。ゲートの両脇にはマサイが作ったビーズのアクセサリーや木製の飾りがあって、陽気な若者が僕らに買わないかと白い歯を見せながら言い寄ってきた。しかし、僕ら はこれからのサファリの期待で一杯で、お土産を買う余裕は全くなかった。

 ゲートが開けられ、車はマサイマラ自然保護区に入った。少し行くとイボイノシシの家族に出会った。大きい母親に三匹の子供達が続いて道を横切っていった。尻尾をピンと立てて走る様はユーモラスで、可愛い。しばらく行くとキリンがいた。1本の木の下にいて、こちらを見ていた。動物園では無い、確かな野生のその姿に感動を覚えた。それは僕だけではなかった。皆同じように感じていたと思う。その先に行くとヌーが沢山いた。しかし、一面に広がっているのではなく、所々にかたまっているのだ。よくよく見ると、それは木陰の形そのものだった。彼らは暑い太陽光を避けて、少ない木陰で涼を取っていたのだ。

 僕にはずっと疑問があった。マサイマラのことは子供のころからTVや本で知っていたが、この風景を見る限りこれだけの動物を養っていけるだけの土地には見えなかった。この乾いた大地の何処にそんな力があるのだろうと思わずにはいられなかったのだ。しかし、現にかって見たことのない動物の数が目の前にあった。これら全てが野生動物である。地球上で、このような場所が他にあるだろうか?僕は疑問を持ちつつも、この素晴らしい場所に来て良かったと実感していた。

 緑の残る木立からアフリカゾウの群れが出てきた。ゾウは大きいので距離が離れていても分かる。しかし、それでもまだ慣れない僕らにはすぐに分からなかった。ウィリアムさんの確かな目が的確に動物を見つけ出すのだ。車が近づくと警戒したのか、ゾウは子供を守るように内側に入れて、団子状になった。そして、僕らを凝視した。車は安全な距離を取って停車し、僕らはすぐさまカメラを構えた。リーダーらしきゾウは僕らが危害を及ぼす存在でないと分かったのか、ゆっくり歩き出した、ように見えた。広大な 大地がそのスピードを錯覚させたのだ。ゾウの歩くスピードはかなり速い。歩幅が大きいせいもあるが、見た目以上に速いのだ。車の前方を群れが横切って行って初めて分かった。

 それから先は、動物の姿がほとんど見えなくなってしまった。ごつごつと岩が出ていて、なんとなく緊迫感が感じられた。今まであれ程いたヌーやシマウマの姿が見えない。時折小さなガゼルの群れが見えたが、何か雰囲気が違う。と、ハイエナが一頭現れた。僕らが初めて見る肉食獣だった。彼は車に驚いたのか立ち上がると、すごすごとそこから去っていった。この辺りはライオンのテリトリーだとウィリアムさんが教えてくれた。そう言われると、僕らは俄然張り切りだした。一番にライオンを見つけてやろうと言う気になっていたのだ。しかし、なかなか姿は見えない。遠くに黒い影が幾つも見えた。バッファローだった。バッファローはとても危険な動物なんだとウィリアムさんが教えてくれた。気が荒く、いきなり突進してくることもあると言うのだ。オスの左右に張った大きく太い角は、見るからに威力がありそうだった。

 ドライバーは決して単独で動いているわけではなかった。ウィリアムさんはすれ違う車や無線を使って情報交換していた。この広いマラで効率的に動物を見つけるにはやはり協力してやらなければならないのだ。当然他のロッジの車とも情報交換する。マラのドライバーは皆仲間なのだ。

  白いローバーがやって来た。ウィリアムさんは車を停め、窓越しにスワヒリ語で何やら情報交換を始めた。「おやっ?」僕は向こうの後部座席に見覚えのある顔を見つけた。ウィルソン空港で別れた彼女達だった。僕は立ち上がると、ロールバーに手をかけて身を乗り出して手を振った。彼女達も気付いたようで、立ち上がった。「何か見た?」僕はすぐさまそう聞いた。「チーター見ましたよ。」僕はその言葉に興奮した。それと言うのも、子供の頃から動物の中で一番好きなのがチーターだったからだ。そのしなやかで美しい体、獲物を捕らえる映像をTVで見て感動したものだった。エンジンがブルンと音を立てて掛かり、同時に車体が揺れた。さあ、出発だ。僕は彼女達に手を振り、座席に座った。目指すは勿論チーターのいる場所だった。

 いつの間にか空が曇り、雨がぽつりぽつりと落ちてきた。小さな木立に入り、轍の跡をゆっくりと進む。僕ら14個の瞳がチーターを探していた。やはり最初にチーターを見つけたのはウィリアムさんだった。僕らは言われても、初め何処にいるのか分からなかった。車が驚かさないようにゆっくりと近づいていく。「見えた!!」心臓がバクバク鳴った。自然に皆の口から歓声の声が起こった。車内は慌しくなり、カメラや双眼鏡を出してチーターに向けた。チーターは僕らの騒ぎが聞こえたのか、立ち上がって移動を始めた。するとウィリアムさんはチーターの行き先を読み、車を移動させエンジンを切った。これは振動でカメラがぶれたりしないようにするための配慮だった。初めて見る本物の野生のチーターは本当に美しかった。黄色に黒い斑点がスマートな体によく似合った。まさに自然と時間 が生んだ芸術品だった。彼(オスだとしておく)はさほど大きくない倒木の下に一旦隠れたが、僕らが気になるようで再び起き上がると、そこから離れた。小雨の降る中、僕らは皆同じ方向を見つめていた。「虹!!」その声にチーターの先 にある空を見た。地面から立つ虹が見えた。まっすぐ上に伸びる虹を見たのは初めてだった。チーターのバックに虹を据えて、写真を撮った。ウィリアムさんはこれ以上車を進めず、僕らは去っていくチーターの姿を見送った。ここで言うが、僕らは初歩的なミスを犯していた。つまり感激のあまりに声を出してしまっていたと言うことだ。それに彼は驚いてこの場から去ってしまったと言うのが本当のところだろう。声を潜め、興奮を抑えながら観察していれば、もっとじっくりと見ることが出来たろう。しかし、それを抑えきれない程に美しく感動的だった。僕ら一行は皆マラはおろかケニアが初めてだったのだから、それは仕方なかったのだと思うし、その感動を一緒に分かち合えたことの方が、嬉しかった。僕らは初日で友人になっていた。

 そして、午後のサファリは終わった。

 

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サファリ2

 翌朝、5時半。ムパタのスタッフがドアをノックして起こしてくれた。前夜にお願いしてあったからだ。とは言っても、僕はその前から目を覚ましていた。しかし、ベッドに潜り込んだままだった。それと言うのも、想像以上に寒かったからだ。たぶん、12℃前後ではないかと思われた。寝る前にスタッフがそっと入れておいてくれた湯たんぽの温かさが心地よかった。5時半では外はまだ暗く、部屋の明かりを付けてようやくベッドからでた。急いで着替え、それからカメラと予備のフィルム、そして双眼鏡を用意した。まだ少し時間があったので、パ ーカーを羽織ってテラスにでた。まだ朝は訪れてなく、空には見たことがないぐらいの数の星が美しく輝いていた。マラは南半球にあるので、僕の知る宇宙と違うのが妙に嬉しかった。自分のちっぽけな知識がなんの役にも立たないのが可笑しかった。しばらく宇宙を眺めていると、ふっと気がついた。真上に三つ並んだ星があったのだ。それはまさしくオリオン座の三連星だった。僕の知識も少しは役立ったようだ。それから、少しであるが星の並びが分かってきた。その向こうに一際強く輝く青白色の星こそシリウスだった。僕はシリウスに素敵なサファリになることをお願いした。

 6時、サファリに出発。僕らを乗せた四駆は昨日と同じように坂を下った。メンバーも同じだった。夜露で少し湿り気のある空気が気持ちよかった。辺りは白々としてきて、夜の終わりと朝の始まりを感じさせてくれた。今朝は滑走路 に向かう道に入った。少し行くと強烈な光が僕らを照らした。日の出だ。ウィリアムさんは車を停めた。僕らは皆立ち上がって、マラの日の出を見た。平たい稜線がシルエットとなり、太陽がゆっくりと昇っていく。雲に当たる光が微妙にスペクトルを変え、赤や紫、青に染まる。光が直接当たる部分は黄金色に輝いていた。それはまさしく自然が作り出す光の芸術だった。僕らは刻々と変化する光の魔法に捕らわれていた。両手を拡げても足りない、そのずっと先まで続くサバンナの遥か向こうから現れる太陽に、畏敬の念を覚えた。それは神秘的でもあった。僕らが満足したのを確かめると、ウィリアムさんは車を出した。太陽光が開けた窓から差し込んでくる。光に照らされた皆の瞳が子供のように輝いていた。太陽が昇るにしたがって、空気が急激に乾燥していくのが肺を通して分かる。改めて太陽の強さ、地球に与える影響力を感じた。

 しばらく行くと、ウィリアムさんは速度を落とした。ゆっくりと進む。僕らも目を凝らして辺りを探す。「ライオン!!」ウィリアムさんが言った。僕たちには分からない。指差す方向を見てもなかなか分からない。しかし、近づくにしたがってようやく分かった。ライオンの明るいカーキー色の体色はみごとなまでの保護色になっていた。三頭のライオンがいて、2頭はまだ若い個体で。もう1頭は大人のメスだった。草丈が高く、身を隠すとすぐそこにいても分からないだろうと思えた。

そのままゆっくり進むと、僕らを待っていてくれたのは2頭の子供のライオンだった。こんもりと盛り上がった土稜の上にちょこんと仲良く乗って、こちらを見ていた。車はその四、五メートルほど手前に停まった。皆、興奮しているがチーターの時ほど大騒ぎにはならなかった。その辺は皆十分に分かっていたのだ。2頭ともに子供特有の斑点がくっきりと見えた。ちょうど抱き頃の大きさで、ヌイグルミのようだった。本当に抱きしめたいと思うほどに可愛かった。子供のもっこりした手は大きくて、それがまた可愛い。このシーンに出会えただけで、もうこの旅は満足いくものだと思えるほどだった。子供たちは少し僕らのことを気にしながらもそこから動こうとはしなかった。むしろ狭い車の中で興奮している僕らよりもずっとリラックスしているようだった。僕は皆が持っている望遠レンズの付いた一眼レフを羨ましく思った。それまでカメラはコンパクトなもので十分足りたのだが、此処ではとてもそれでは足りなかった。その愛くるしい表情をアップで撮れたらどんなに素晴らしいかと思ったのだ。僕らはライオンの子供に夢中になっていた。

エンジンが掛かり車は発進した。スピードから言っても何かを探しているのでないのが分かった。進む先に1台の車が見えた。そこに向かっているのだ。轍から外れてスピードを落として進むと、2頭のオスライオンがいた。立派なタテガミをしたオスだった。写真を撮り観察していると、1頭のオスが立ち上がりゆっくりと車の前を横切って草むらに入った。もう1頭はずっと目を閉じたままである。さきほどまで側にいた別の車が先でまた別のライオンを見つけたようである。僕らもそれに続いた。そこにはまだ斑点の残るライオンの子供が、まだ紅く変色していない薄く身の付いた肋骨を愛しそうに舐めていた。たぶんヌーの骨であろう。先ほどのオスライオン達もきっとこのヌーを食したのだと思う。出来ればハンティングの様子や食事風景を見たかった。

 ライオンは群れを作って暮らしているが、その群れをプライドと言う。このライオンのプライドは僕らがマラにいる間中この場所に留まっていてくれ楽しませてくれたのだ。

 アフリカの動物にはBIG5と呼ばれるものがいて、それはゾウ・ライオン・バッファロー・サイ・ヒョウだ。しかしマラではヒョウの代わりにチーターをその一つに上げることもあるようだ。と言うのも、ウィリアムさんがそう教えてくれたからだった。夜行性で見るのが難しいヒョウよりも此処マラではチーターを見られるのでそう言うのかもしれない。しかし、実際はヒョウよりもチーターの方が絶滅危惧種として心配されているのも事実だから、僕としてもBIG5に入れても全く不思議ではないと思う。BIG5とは、彼のヘミングウェイもやっていた、ハンティングが盛んであった頃の大物の呼び方であるが、今はカメラ・ハンティングにその名を変え、親しまれている。チーターをその一つとするなら、僕らは既にBIG5のBIG4までも見たことになる。ゾウやバッファローは結構すぐに見つかるのであるが、そう思うことで何か嬉しくなるのも確かであった。

 ライオンのテリトリーを離れ、サファリは続いた。ゾウの群れがのんびりと草を食んでいた。丘を超えブッシュを抜けると草原にでた。無数の土の塊が錐上に盛り上がっている。それはアリ塚だった。ずっと依然に作られ崩れてなだらかになっているものや、つい最近出来た小さなものまであった。見捨てられた古いアリ塚跡はマングース等の小動物の巣になったりするのだ。腹部に黒い横縞のあるトムソンガゼルがピッピッと小さく左右に尻尾を振っていた。その小型のレイヨウは大きな瞳がとても可愛い。オスは体の1/3程もありそうなりっぱな角を持っており、メスは鉛筆のような短い角で、その違いはすぐに分かる。それよりもずっと大きいインパラはオスにしか角が無く、それもすぐに見分けることが出来る。オスのねじれるように伸びた角はなかなか格好良いのだ。

 しばらく行くとキリンがゆったりとその長い四肢を使って歩いていた。その風景はまさしくアフリカそのものだった。キリンは何故か女性に人気があった。そのスマートな体形と優雅な身のこなしから好まれるのかもしれない。此処のキリンはマサイキリンと言って、その特徴はヒイラギのようなギザギザの紋様にある。日本の動物園でよく見るアミメキリンとの違いはすぐに分かるはずだ。キリンの子供は全体に体色が白っぽく、大人になるにしたがって黄色くなるようだった。大きな大人にはさらに体色の濃い固体もいた。

 黄色の草原を快適に車は進んでいた。前方に1台の車が停まっていたが、これまで見た車とはなんとなく違った。近づくとフロントガラス越しに地図を広げているのが見えた。ウィリアムさんは側に車を付けると言葉を交わした。彼らはプライベートサファリをしていてこれからどっちに進むか迷っていたらしかった。この広いマサイマラを、予備知識があったとしてもガイドも無くプライベートで回るのは効率的ではない。この地を知り尽くしたガイドだって、頻繁に無線で情報を交換しているのだ。それこそ運が悪ければ1日走っても動物に会えないことだってあるかもしれないのだ。ウィリアムさんは道を教えてあげるから付いて来いと彼らに言い、車を出した。彼らの四駆はUターンして後ろに従った。と、急にウィリアムさんがブレーキを踏んだ。何事かと思ったら、草むらを見つめて「ジェネット」と一言言った。僕らは皆立ち上がり、身を乗り出して草むらをみた。小さな子犬ほどの大きさの猫がうずくまっていた。黄色地に黒の紋様はとても綺麗だった。後ろを振り返り、彼らにも教えた。猫は隠れているのがばれたと思ったのか、立ち上がると恥ずかしそうに移動を始めた。僕らは一心にシャッターを切っていた。「ビューティフル!!」僕は後方に向かって言った。「Yes!!」と嬉しそうに白人の女性が手を上げて応えた。若く美しい20代前半ぐらいの女性だった。僕は彼女にも気を取られてしまった。

 プライベートサファリのこの人達は本当にラッキーだったと思う。彼らだけだったら、すぐ側にその動物がいても分からなかったと思うのだ。動物を見つけ出すウィリアムさんの目は本当に凄いと感服した。それはたぶん視力が良いだけでなく、長年培ってきた動物の生態を知った上での 経験からくるものなのだろうと思う。ウィリアムさんは彼らにライオンのいた場所と道を教え、僕らはそこで別れた。ほんのひと時であるが、綺麗な女性と同じ感動を分かち合えたのは気分的にも嬉しかった。

 メンバーの一人の女性はあまり動物の名前を知らないようで、何度も名前を聞いてはメモにとっていた。その姿を見て何故か嬉しかった。マラの自然や動物に素直に興味を持ってくれている のを感じたからだ。ジェネットと言う名をすぐに忘れてしまうのか、「ジャネット・ジャクソンのジャネットね。」って明るく笑いながら何度も言った。ここで揚げ足を取る訳ではないが、ウィリアムさんはミスをしていた。それと言うのも、あれは「ジェネット」ではなく「サーバルキャット」だったのだ。腰を低く落として歩く姿に、長い四肢のサーバルではなく、ジェネットだと勘違いしたのだった。僕も帰って写真を確かめるまではそう思っていたが、その紋様のパターンと大きな耳は確かにサーバルだった。

 この小さな美しい動物を見られたのは僕にとって最高の出来事だった。ライオンを見た以上に嬉しかった。まだ2日目だと言うのにマラは僕らにその懐を大きく広げ、その素晴らしさを十分に見せてくれたのだ。僕はマラに感謝し、此処に来て本当に良かったと実感していた。

 

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マサイ

 午後になってから雨が降り出した。乾季の終わりを告げる雨だ。ケニアの雨は日本のながながと降る雨とは違い、青空の向こうから雲の塊が近づいてきて、いきなりバケツをひっくり返したように降るのだ。雨雲が通り抜けるとまた天気になる。短い時はものの 10分程度と言う時もあるのだ。サバンナは広いので、遠く向こうで雨が降っている様子を見ることが出来る。雲から地面の間が霧に包まれたように見えるのだ。距離が離れているのでそう見えるのだが、実際雲が通り抜けた後を通ると水浸し状態になっているのだ。

 午後のサファリの出発前には雨は治まり、時折ぽつぽつと落ちてくる程度になっていた。 今回はマサイ村に寄ることになっていた。いつものように車はロッジを出て坂を下っていった。風車が見えたところで、いままで右に曲がっていたのだが、そのまま真っ直ぐ進んだ。少し行くとさっきまで降っていた雨のためか、道脇に大きな水溜りが出来ていた。その水溜りで3、4人の子供が裸になって水遊びをしていた。車に気付くと屈託の無い笑顔で手を振ってくれた。そのまま行くとマラ川を渡る橋に出た。コンクリートで出来た低い橋で、川が増水すればたちどころに水没してしまうのではないかと思われた。その橋の下を、茶色く濁った水が波を立てながらゆうゆうと流れていた。

 橋を渡るとすぐに急坂になった。30°はあるのではないかと思われた。でこぼこの坂を四駆は右に左にハンドルを振りながらゆっくりと登っていった。段差などで慎重に進まなければならない時には「ポレポレ」と声が掛かった。「ポレポレ」とはスワヒリ語で「ゆっくり」と言う意味である。そう言うシーンになった時に、ウィリアムさんが「ポレポレ」と言って僕らを楽しませてくれていたのを、逆に僕らが彼の言う前に言うようになっていたのだ。ウィリアムさんは笑いながら「ポレポレ」とそれに復唱した。坂を登りきり進むと三つの小屋が見えた。トタン屋根のバラック小屋で、その前に椅子を出して女性が座っていた。雑貨屋だそうだ。その少し先にも小屋があって、その前にカバの形の大きな石が置いてあった。これはお土産屋だった。その横を右に曲がって進んだ先が目的のマサイ村だった。丘の上に枝を組んだフェンスが見えた。車はフェンスの前に停まった。しかし僕らはすぐに車から降りることは出来なかった。それと言うのもウィリアムさんがマサイと交渉して、許しが出れば中に入れると言うことだったからだ。確かに村と言ってもフェンスに囲まれた小さなものであり、僕らの感覚では個人の家に近かった。つまり見も知らぬ人間を自宅に入れるのと同じなのだから、当然許しを得てからでないと入ることは出来ないのだ。観光用に用意されたものではないのである。

まず出迎えてくれたのは村長だった。紅い ケープに身を包んだ姿は勇ましく思えた。彼は紳士で僕らに挨拶をし、村の紹介を始めた。村の中心の広場は、夜にウシやヤギを入れておくためにあると教えてくれた。ライオン等の捕食 獣から守るためだ。マサイはウシを本当に大切にする。ウシは生活の糧であるとともに、財産でもあるのだ。ウシを多く持つマサイほど裕福なのである。それから僕らはフェンスの中に入った。中に入ると小さな土壁で出来た家がフェンスに沿うように間隔を置いて並び、中心は広場になっていた。牛糞の匂いがしたが、すぐに慣れた。広場の中心に女性達が並び、歓迎の唄を唱って迎えてくれた。女性達は皆お洒落で、カラフルな着物をまとっていた。それが終わると、五、六人の男性の若者が登場し、力強く歌いだした。それから一人が数歩前に出たかと思うと、垂直跳びを始めた。それが終わると次の者が跳び、次々に順番に跳んだ。マサイ・ダンスだ。その細い体はバネのように何度も跳ね上がった。やってみないかと言われ、僕もその中心に入ってジャンプした。小恥ずかしい気がしたが、彼らの輪に入れた気がして嬉しかった。

歓迎のセレモニーが終わると、土壁の家に案内された。土壁は牛糞と土を混ぜて作ったもので、乾燥して灰色の壁は固く匂いもなかった。村長に続いて中に入る。家の中はとても暖かだった。入り口を入ると土間のようになっていて、そこにウシやヤギの子供を入れると教えてくれた。夜間はかなり冷えるため、弱い子供を守るためだった。そこまでは良かった。その奥に村長が案内してくれるが、何も見えない。固く締まった土壁は全く光を通さないのだ。右奥にオレンジ色の小さな炎がちらちら見えた。村長は奥にある窓を開けたが、ほとんど役に立たなかった。それから村長は火の側に立つと、お母さんだと紹介してくれた。「見えない!!」そして、奥にいるのが御祖母さんだと言った。「全然見えない!!」僕は宙を見るように挨拶した。それは僕だけではなかった。たぶん、皆見えていなかったと思う。村長が写真を撮っても良いと言ってくれたので、フラッシュが焚かれた。「見えた!!」ようやく、お母さんと御祖母さんの顔を見ることができた。フラッシュが光る度に現れるその顔はとても穏やかに見えた。僕らは二人にお礼を言って家から出た。

広場に出ると、幾つも敷物が敷かれ、その上に色とりどりの手作りのお土産が並んでいた。そこに女性や子供が座って僕らを待っていたのだ。つまり、即席お土産屋が出現していた。マサイといえども近代化の波には逆らえず、現金収入の場としているのだ。そ こで得られたお金は教育や学校設立に使われたりもしている。十分な教育を受けたマサイには自然環境を守るために従事している者も少なくないのだ。とは言っても、若者の中には都会に出て働く者も多くなっているのは事実である。

僕らは少々戸惑いながらもビーズの飾りや木彫りの置物などを順番に見た。赤や青、緑や白、原色のビーズを幾何学模様に繋げた腕輪や飾りはとても綺麗だった。前に立つと、如何ですかと アクセサリーを手のひらに乗せて見せたりするが、決して押し売りはしなかった。さすがに女性は興味があるようで、二人ともあっちを見たりこっちを見たり、手に取ったりして品定めをしていた。その後ろで夫達も楽しそうに覗いていた。もう一人の男性はカメラが趣味で子供たちの写真を撮っていた。実は僕はそれまで写真を撮ることにあまり興味がなかった。旅行には持って行くが、部屋に忘れたり、持っていても撮るのを忘れたりすることが多く、初めの海外旅行で行ったシンガポールでは、24枚撮りのフィルムさえ使いきれなかったのだ。写真を撮る習慣がないとどうしてもそうなってしまうようである。セイシェルやスイスなど自然の美しい場所に行くと、自然にこの場所を写真に撮っておきたいと言う欲求が内から沸いてきて、カメラを取り出すと言うなんとものんびりしたものだった。しかし徐々ではあるが写真を撮る、記録を残す、その楽しさが分かってきていた。

買い物も済み、僕らは皆にお礼を言ってマサイ村を出た。僕ははじめマサイ村訪問を予定していなかったのだが、他のメンバーが行くがどうするかとオフィサーに尋ねられたので、行くことにしたのだ。それが正解だった。とても楽しかった。

車はサファリを始めた。しかし車内ではマサイ村の話しで盛り上がっていた。マサイから買ったお土産の話になると、さらに盛り上がった。どうやらメンバーの女性の一人がかなり値切って買ったようなのだ。ディスカウントした上で、さらにおまけまで付けて3点購入したと言う。その夫婦は以前エジプトに旅行に行ったこともあって、夫がその時のことを思い出し話してくれた。彼女はエジプトで買い物した時にもかなり値切ってお土産を買ったのだと言う。買った後に、相手のエジプト商人に「商売人だね。」と言ったら、「あなたこそ商売人やね。」と言われたそうだ。あのアラブ商人に商売人と言わしめる彼女は只者では無かったのだ。その愛らしい笑顔からはとても想像することが出来なかった。でも本人曰く、レートとか相場とか分からずに「安くして」って言った結果そうなったらしい。結局皆、その太陽のような笑顔に負けたのかもしれない。

車は軽快に丘を走っていく。草原の真っ只中でマサイに出会って驚いた。手を振って挨拶をするも、彼はいったい何処に向かって歩いているのだろうと疑問に思った。隣村に行くのだろうとウィリアムさんが言った。マサイは半日でも一日でも歩き続けて行くそうなのだ。この広い原野では当たり前のことなのかもしれないが、本当に驚いた。確かマサイの男は成年になる過程で戦士として放浪の旅に出なければならないと聞いた。今は全てのマサイがそうしている訳ではないと思うが、伝統を守り戦士として旅をしているマサイも確かにいるのだ。そして、旅が終わると戦士は家庭を持てる資格を得ることが出来るのだ。マサイは誇り高き民族なのである。

丘の上に一台の白いバンが見えた。そこに行くと車は1台ではなく、3台停まっていた。そのうちの1台はTVカメラや機材を乗せた一行であった。ゆっくり進み車は停まった。ウィリアムさんは他の車のドライバーと何やら話すと双眼鏡を取りだして確認した。チーターがいた のだ。距離はまだかなり離れていた。TVクルーたちはチーターがハンティングするのを気長に待っているらしかった。僕らは彼らほど時間に余裕がある訳ではなかったので、その場を離れた。だいぶ日も傾いてきていた。夕暮れ前の穏やかな風が草原を流れていた。車が近づくとマングースが一斉にその穴倉に隠れた。僕らは帰路に着いた。

帰る途中、カバの形をした石を置いてあるお土産屋に立ち寄った。中にはアクセサリーの他に置物やマサイの紅いショール、敷物など色々あった。僕は買うつもりがなかったので、少し見てから表に出て周囲の景色を眺めたりしていた。そこにお土産屋のお兄さんが近寄ってきた。特に何かを売ろうとするわけでもなく挨拶を交わした。彼は僕に「ケニアはどう?」って聞いた。「素晴らしい。」と僕は答えた。それから「アフリカに来ることは子供のころから の夢だったんだ。」と付け加えた。すると彼はとても喜んでくれた。彼と話していると、一人の娘がやって来た。近くに住むマサイの娘で、十五、六歳ぐらいに見えた。目のぱっちりしたとても可愛い娘だった。彼女は自分で作ったのか、小さなビーズのアクセサリーとマサイ・ステッキのミニュチュアを持っていた。マサイ・ステッキとは木製で、先がぷくりと膨らんだ新体操に使用する棍棒みたいな形のもので、 お土産用にそれにビーズを巻いて装飾したものである。彼女はそれらを僕に見せた。僕はキーホルダーの付いたミニチュア・ステッキが気に入りそれを買った。その後、側にいるお兄さんに「彼女はとってもキュートだね。」って耳打ちした。彼は「マサイの娘は美人だろ。」と嬉しそう に笑って言った。娘は僕ら二人のひそひそ話しが気になったのか、彼に向かって何か言った。すると彼はからかうように何か話すと、その娘は急に恥ずかしそうに両手で顔を隠した。その仕草がとても可愛かった。買い物が終わったのか、皆が店から出てきて車に乗り込んだ。僕はお土産屋のお兄さんと握手し、彼女にも声を掛けて最後に車に乗った。車は出発し、彼らに手を振って分かれた。何となく名残惜しい気がした。

 

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ムパタ・サファリ・クラブ

 ムパタでの過ごし方は、サファリと食事の時間が決まっている以外は各々自分のやりたい風にやれば良かった。ただただ惰眠を取るのも本を読むのも、好きなだけ出来るのだ。でも、そこはマサイマラであるから日常の情報はほとんど入ってこない。TVが無いと暮らしていけない人達は退屈だと感じるかもしれないが、そう思う人達にマサイマラに来て欲しいとはさらさら言うつもりはない。マラに来てまで人間界の諸々の情報を持ち込む必要などないのだ。それよりも、この広大な自然を感じて欲しいと思うし、たまにはのんびりと色んなことを考える時間があっても良いと思うのだ。言えることは、滞在中にはそんな時間がたっぷりあって、最高の贅沢を味わえると言うことだ。

 僕のマラでの過ごし方は特に決まっていなかったが、そのほとんどが広大な景観を眺める時間に費やしていた。早朝のサファリから帰ってくると朝食を取り、いつもその後ムパタの敷地内をのんびり歩いた。敷地内には小さな遊歩道があって、そこを歩くのが好きだった。レセプションのある建物からコテージまでの間は、石畳でその両側にはよく手入れされた花々が美しく咲いていた。乾季のこの時期にあっても花が沢山咲いているので、花の蜜を吸いに多くの小鳥たちがやってきていた。中でも嘴が湾曲した小さなミツスイがお気に入りだった。メジロほどの大きさで頭が赤く、その体はグリーンメタリックに輝きとても美しかった。

 コテージに向かう道を外れ、人間一人が歩ける程度に続いた道に入る。道と言っても舗装されている訳ではなく、土が剥き出しで両側には雑草が薄黄色に長く伸びていた。緩やかに丘を登る道を少し歩くと小さなアカシアがあった。小さくてもその特徴である固い棘が枝から突き出していた。そのまま上がっていくととても良い香りがしてきた。以前にも嗅いだことのある香りだった。枝のあちこちに小さな白い花が幾つも集まって咲いている木があった。ジャスミンだった。僕はジャスミンの木を見たのは初めてだった。以前鉢植えで育てていたことがあるが、それはツル状だったからだ。大きなその木から発散される芳香は僕の気持ちを楽しくさせた。お気に入りのミツスイがその香りに惹かれてやってきて、小さな花弁の間にその湾曲した嘴を次々と差し込んでいく。もう一羽飛んできた。きっとツガイなのだろう。二羽はその小さな体であっちこっちと緑の葉の間を移動しては蜜を吸っていた。僕はその様子をずうっと見ていた。お腹一杯になったのか、二羽は打ち合わせたかのようにほとんど同時に飛び出し、弾丸のようにまっすぐ飛んで行った。ジャスミンの木の向こうにゲートが見えた。サファリに出る時にいつも通るゲートだった。そこから電流の流れる有刺鉄線が横に伸びていた。勿論動物の侵入を防ぐためだった。しかし、全ての動物の侵入を防げるものではなく、敷地内でよくバブーン(ヒヒ)の姿を見ることがあった。有刺鉄線の向こうにマサイのウシがいることもあった。きっと近くに住むマサイが放牧しているのであろう。

 遊歩道を歩いていると、小さな球状の糞がぽろぽろかたまって落ちていた時があった。その糞は湿り気がありまだ新しいのが容易に分かった。僕は何かがいるのを直感し、音を立てないようにゆっくり注意深く進んだ。五、六メートル進んだぐらいだったろうか、突然右側の草薮からザッと大きな音がしたかと思うと、柴犬ほどの大きさのレイヨウが飛び出した。そして長く伸びた草の間を跳ねながら去っていった。ディ クディクだった。僕の思っていた通りだった。有刺鉄線を抜けて入ってこられるようなレイヨウは小さなディクディクぐらいのものだからだ。その前にあのコロコロした小さな糞を見た瞬間からそれは分かっていたのだ。僕はなんとなく得したよう な気分になり嬉しかった。ほんの1メートル脇にいたのである。でも驚かしてしまったかなと思ったが、それはそれでお互い様だったのだからまあ良いか、などと変な屁理屈で納得していた。

 こんなこともあった。その日は逆方向から歩いていたのだが、僕の目の前にふいに小さなチョウがゆらりと現れ、その先にとまったのだ。そのチョウはモンシロチョウほどの大きさで、なによりもそのカラフルな美しい翅に心を奪われた。黒に近い紺色の翅に黄色と青の紋があり、ひらひらと飛ぶときらきら輝いた。 とまる時には多くの日本にいるチョウのように翅を閉じるのではなく、翅を広げたままでいた。すかさずカメラを取り出して写真に撮ろうとした。しかし、近づくとふわりと飛び出しなかなか写真に収めることが出来なかった。でも、低く飛んでは遊歩道に下りるので、何度か目のチャンスにようやく撮ることが出来た。

 遊歩道からもサバンナを見下ろせ、白く先が茶色の翼を持つ大きな猛禽類が輪を描いて飛んでいるのが見えた。向こうの斜面にはシマウマが上がってきているのが見えた。そんな風にして、僕は毎日のんびり遊歩道を歩きながらマラを感じ取っていたのだ。

ムパタの敷地にいる動物を見つけるのも面白いと思う。レインボーアガマはすぐに見つけられるだろう。そのトカゲのオスはその名の通りに虹色の美しい体色をしているが、メスは地味な灰色である。プール・サイドやテラスで日光浴をしていたりする。イワハイラックスもムパタの住人だ。庭を横切って遊ぶ姿が見れ、とても可愛い。モルモットほどの大きさでネズミに似ているが、実はゾウの遠縁なのである。そう思うと驚いてしまう。その他にも前に話したバブーンやディクディク、美しい小鳥たちが見られる。運が良ければ(?)大きなヘビだって見られるらしい。残念ながら僕はまだ見たことはないが、その辺りはムパタの専属ナチュラリストである加藤さんのHPに詳しく載っているので見てみると良いと思う(リンク集からアクセス出来ます)。ムパタのゴミ捨て場の話などとても興味深く面白いのだ。

 僕は滞在の間、絵でも描こうかなと思いスケッチブックと水彩絵の具を持ってきていた。一度その気になってスケッチ・ブックを開いたものの、どうしてもペンを入れられないでいた。この広いサバンナを写し取るにはあまりにも小さすぎたからである。そして、とうとう最後まで一枚の絵も描けなかった。否、そうと言うより最初にスケッチブックを閉じた時からもう描こうと思う気持ちがなくなっていた。僕はまだ絵を描けるほどの余裕がなかったのだ。全身でマラを感じることで精一杯だったのである。だから、持ってきた本も読まずじまいであった。とは言え、本は行き帰りの長いフライトや乗換え時間に役に立ったことを言っておこうと思う。

 ムパタでの食事はなかなか美味しかった。基本的にフレンチであるが、時々ローカルフードを食べやすくアレンジしたものも出た。現地ではウガリと言う甘くないトウモロコシの粉を練ったものが主食で、これをスープに付けて食べるのが一般的である。多くの人にとって肉はお祝い事などの特別な日にしか食べられず、肉入りのスープはご馳走なのである。ムパタでは勿論肉入りである。スープは辛くないカレーのようで、なかなか美味しい。僕らの感覚からすると、トウモロコシは甘い方が良いと思うのだが、アフリカでは全く逆で、甘いものは家畜の飼料として使われているのである。ずっと以前のことだが食料危機が起こり、米国から支援のトウモロコシが送られたが、それがスィートコーンだったことで、受け入れを拒否すると言ったことがあったらしい。家畜の餌を食べるほど落ちぶれちゃいないぞって言うことである。米国はそんなつもりでは無かったと思うが、やはり配慮に欠けていたと思う。その国の 内情を知らないで、押し付けの援助などかえってしない方が良いのだ。それは、日本の支援活動と言われるものにも言えると思う。

余談であるが、ケニア人は辛いものは駄目らしい。イメージ的に食事は辛そうな気がするが、それは間違いであり、唐辛子などの辛味はあまりないのが事実だ。それから、友達に聞いたのだが、日本のように料理に砂糖を使うことは無く、もし料理中に砂糖を使っているところを見られたら、眉を潜め食べようとしないそうなのだ。しかし、その様なことを知らずに黙って出すと、美味しいと言って食べるのだからいい加減なものである。そう言うことは日本人にだって多くあるので、やはり普段の食生活が意識を支配しているのだと感じる。

日本にいる時は普段朝食を食べることが無いのであるが、ここでは三食、規則正しく取ることが出来る。美味しいのも手伝ってつい食べ過ぎてしまう。マラの空気と景色がさらに美味しくするのだ。日本に帰る頃には随分太っているだろうなと思った。ロッジのコーヒーも美味しかった。ケニア産のコーヒー豆を使用しているのだと口髭を生やしたウェイターが教えてくれた。これまた余談であるが、インスタントコーヒーも国によって味が違う。同じネスレでも随分違うのだ。やはりコーヒー豆の産地の物が美味しいように思う。しかし一般にケニアではコーヒーよりも紅茶がよく飲まれる。チャイと言って、アラブ圏などと同じ呼び方だ。現地の人達はその紅茶にミルクとたっぷりの砂糖を入れて飲むのが定番である。それはコーヒーでも同じだ。ミルクは入れるが、普段砂糖を入れない僕にはちょっと甘すぎる気がする。ついでにミルクの話もしよう。ムパタでいつもコーヒーや紅茶と一緒に出されるミルクはとても美味しい。コーヒーを飲んだ後に、空のカップにミルクだけ注いで飲むとその良さがさらに感じられた。ほんのりと甘みがあり濃厚かつクリーミィーでとても味わい深いのだ。

ムパタでは週に2度ほどディナーの時にマサイのショーがある。ショーと言ってもプロが行うのではなく、近くに住むマサイの若者たちが行ってくれる素朴なものでなかなか楽しい。一つは伝統的なマサイ・ダンスでもう一つはフランクな感じで、楽しい歌や踊りを披露してくれるのだ。その中によく観光客に対して歌われる「ジャンボ」と言う歌がある。そのシンプルで明るいコード進行と「ハクナマタタ」と何度も繰り返し歌うところが妙に楽しい。「ハクナマタタ」とはスワヒリ語で「No Problem」と同意語である。それを繰り返す歌を聞いていると、一緒に声を出して歌いたくなる。「ハクナマタタ」と一蹴して笑い飛ばす生き方も良いなと思ったりするのだ。嫌なことがあった時やストレスを感じた時にはちょっと口ずさんでみると良い。きっと気持ちが晴れ、元気が出てくるはずだ。

ムパタ・サファリ・クラブ。僕はこのロッジに少なからず期待を持って見ている。ケニアにおいて自然は大切な観光資源である。しかし多くの人々が仕事を持てずに貧困に喘いでおり、それ故に生きる為に木々を伐採したり野生動物を食料としたりして自然を壊して行くことも有り得るのだ。実際、モザンビークなどではそのために動物が激減しているのだ。その中で、自然を維持しつつも観光を発展させ雇用も生むようなシステムがとても重要になってくるのである。それこそがエコ・ツーリズムなのである。ムパタもその取り組みの一つであると僕は期待しているのだ。ほんの小さな動きかもしれないが、その輪は拡がっていくはずである。もしもムパタを訪れてくれた人の中に、そんなことを考えてくれる人が一人でも増えたら、それは素晴らしいことだと思うし、きっとその人はそれからもっと自然や動物、地球や環境のことを考えるようになると思うのだ。ただの観光ではなく、エコ・ツーリズムの概念を広めることも、ムパタの役割なのだと期待して止まないのだ。

 

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ブラックライノ

 3日目の朝のサファリには、メンバーの二人(夫婦)がいなかった。それと言うのも、オプションのバルーン・サファリに行ったからだった。バルーン・サファリとは広大なサバンナに熱 気球を浮かべ、空から大地を見ようと言うスケールの大きなサファリだ。その為にまだ夜の明けない午前4時に起床し、バルーンの浮かぶ場所に行ったのだ。マサイマラの朝は寒く、バルーンを浮かべるには最適である。気温の上がる日中は上手く飛ばないので朝だけ行われるのだ。バルーンは日の出前に地を離れる。太陽の現れるのをバスケットから見られるようにするためだ。その様子はロッジからドライブ・サファリに向かう車からも見ることができた。草原の真っ只中にカラフルな気球が膨らんでいるのが見え、日の出の少し前にふわりと昇っていくのだ。その様子を見ると誰でも乗ってみたくなると思う。バルーン・サファリは熱気球であるから、その日の風任せで飛んでいく。頃合を見てキャプテンが地上に降ろすのだが、地上にいるスタッフはその間、気球を追って車を走らせる。気球の降りる場所が決まると、その近辺に止まって荷物を降ろし、サバンナの真ん中に即席のレストランを作り上げるためだ。サバンナの大パノラマを楽しんだ後には、真っ青な空の下で食べるブレックファーストが待っていると言う、とても素敵なサービスが付いているのだ。しかもシャンパン付きである。このような体験はとても日常生活では味わえないものであると思う。しかし僕はまだバルーンに乗るつもりは無かった。それと言うのも、動物たちを傍で見たい、感じたいと言う欲求が強かったからだ。それに、何故かここにはまた帰ってくると確信していたので、次の機会に取っておけば良いと思ったのだ。

 昼食を取った後、レセプションの前でウィリアムさんに会った。すると彼は顔中に笑みを浮かべながら言った。「午後のサファリにはライノをみせてあげるよ。」ライノとはサイのことで、正確にはライノソー(Rhinoceros)であるが、話し言葉ではそう言うのだ。バルーンから見たと言う情報が入ってきたのだと彼は言った。僕はとても嬉しくなった。何故ならサイは絶滅危惧種の筆頭にいつも挙げられぐらいに少なく、この広大なマサイマラにあっても僅か三頭しか生息していないと聞いていた。その一頭を見ることが出来るなんてなんてラッキーなのだと思った。否が応でも午後のサファリに対する期待感が大きく膨らんだ。それにも増して、そう話すウィリアムさんの笑顔が僕よりも嬉しそうに見え、彼の人柄が感じられた。

 ウィリアムさんはその人柄から皆に親しまれている。ガイドとしての腕は勿論だが、それ以外にも僕らを楽しませてくれた。「ゾウさん」とか「イボイノシシ」とか多くの動物の日本名を知っていて、見つけてはそう言って教えてくれた。「ポレポレ」や「サワサワ」、「ハクナマタタ」と言ったスワヒリ語も教えてくれた。また車の前をシマウマが横切って走ると「ゼブラ・クロッシング」と言っては笑った。

 三日目には、僕の目も「マラの目」になってきていて、かなり遠くにいる動物も分かるようになっていた。そして皆に、彼の弟子になり将来はサファリ・ガイドになるのが夢だなどと嘯いていた。冗談ではあるが、もし可能ならそうなりたいと本心から思った言葉でもあった。僕はそれほどにマラに魅了されてしまっていたのだ。そしてウィリアムさんに対して友達と師を合わせたような感情を持つようになっていた。

 15:00。午後のサファリの開始だ。しかしメンバーは半分だった。それと言うのも、疲れから体調を崩しキャンセルしたためだった。僕らはサイの探索に向けてオロロロ・ゲートに向かった。この頃になると、ヌーやシマウマを見ても誰もカメラを向けなくなっていた。いるのが当たり前と思えるほどに毎日見ていたからだ。それも、この乾季の季節だからこそ言えることなのであるが、僕もまたそうだった。しかし日本に帰ってみて初めて失敗していたのに気が付いた。動物たちが大量にいる風景写真、シマウマやヌーの写真が数枚しかなかったのだ。見るだけですっかり満足して写真に撮るのを忘れていたのだ。

ゾウやキリンには出会えるものの、サイにはなかなか遭遇出来なかった。ウィリアムさんが無線を使い情報を得ようとしているのが分かるが、サイの情報は無いようだった。ヌーが列を作って歩いているのが見えた、列は延々と続き、最後方は分からないほどだった。あれほどヌーを見ていた僕らではあるが、その場面には感動を覚えカメラを向けた。アフリカの広大な大地を感じさせる一枚になったと思う。草原がほんのりと緑色を帯び始めているのに気が付いた。午後になると雨の降ることが多くなり、急激に植物が生長し始めたのだ。

 行けども行けどもサイには出会えなかった。いくら大きなサイであっても、この広いマラで見つけるのは至難の業であるのは分かるので、見られなくても仕方がないと思った。見ることが出来ることこそラッキーなので、それでがっかりすることはなかった。日もだいぶ傾き、辺りに夕方の気配を感じはじめた頃だった。「これからライノを見に行くよ。」ウィリアムさんは振り向くと満面の笑顔で言った。それから、車の外に出て前輪のホイールを回した。それは四駆にするためだった。今の車は駆動の切り替えを座席に座ったまま出来るのであるが、この車は古く、一旦外に出てホイールを回して切り替えなければならなかったのだ。

 車は発進するとスピードを上げた、雨で濡れた路面は滑りやすく、時々タイヤが滑るのを感じるが、そこは四駆、とても安定して進むのだ。四駆の本領発揮と言ったところだった。タイヤが滑ると「大丈夫か?」と彼が聞くので。「ハクナマタタ!!」と間髪入れずに答えた。そして「とってもエキサイティングで楽しいよ!!」と彼に言った。それから「ラリー・ドライバーみたいだね。」って冷やかした。彼もそう言われるとまんざらではないようだった。そして嬉しそうに「ケニア・ラリーを知っているかい?」と聞き返してきた。勿論僕らは知っていた。車は軽快に草原を走っていく、ウォーターバックが茂みからこちらを見ていた。しかし今は停まっている場合ではない。目指すのはサイのいる場所だ。かなりの距離を走り、前方に横に低く広がる木立が見えてきたところで車はスピードを落とした。ゆっくりと進み、 木立の中に分け入った。中は車が進むのには十分なスペースがあった。サバンナは雨量が少ないので木々の間隔がわりとあるからだ。つまり、それだけ広く根を張る必要があると言うことである。

木立を抜け少し行くと車が2台停まっていた。「ライノ!!」ウィリアムさんが言った。車を近寄せる。大きな岩のような塊があった。二本のりっぱな角が見える。クロサイである。サイにはシロサイとクロサイがいるが、マラにはクロサイしかいない。僕らは興奮しながら、草を食べているサイの写真を撮った。少しするとサイが移動を始めた。ウィリアムさんは例の如く、先回りして車を停めた。その読みが大正解で、こちらに近づいてきて僕らの車の横をずんずんと進んでいった。ゾウの時にも感じたが、サイの歩くスピードもかなり速い。それを考えると、朝に見た位置からかなり離れていたのではないかと推測された。僕らは去っていくサイの後ろ姿を眺めていた。

その興奮を持ったまま僕らはロッジに帰った。 帰り着いた時はもうすっかり日が暮れ、星がまたたいていた。僕らの遅い帰りに心配していたようで、オフィサーが出迎えてくれた。本当にラッキーだった。ウィリアムさんも満足そうだった。たぶん彼にもプレッシャーがあったのだと思う。そしてそれ以上に、見せてあげたいと思ってくれたから こそ僕らは見ることが出来たのだと思う。なぜなら、あれほどの距離を走ってまで見せてくれたからだ。普通であれば、離れている上に時間も遅いので、そのままロッジに帰ってしまうところであったと思う。しかし彼は僕らのために走ってくれたのだ。それが本当に嬉しかった。

 

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サバンナ

 あっと言う間に四日目が来ていた。長いようで短い、そんな表現がぴったりであった。長いとは、たっぷりと自分の時間を過ごせた満足感であり、短いは、その時間も残り僅かで終わってしまうと思うことからくるものであった。ずっとここで暮らしていたい。そんな気持ちが僕の中に生まれていた。

 朝のサファリは前日と入れ替わりに、僕を除いた残りのメンバーがバルーン・サファリに行っていた。そして昨日バルーンに行った夫婦と、新たに昨日の午後にムパタに着いた男女のカップルが加わっていた。サファリはそれなりに楽しかったが、何か違和感のようなものを感じていた。当たり前と言えば当たり前なのだが、その感覚が何なのかロッジに帰って分かった。そのカップルの男性は一見旅なれた風であったが、当時行われていたシドニーオリンピックでの日本選手の結果やこれから行われる試合のことを始終気にしていたからだ。僕はそれを聞くまでオリンピックのことなどすっかり忘れていた。たぶん他のメンバーもそうだったのではないかと思う。それと言うのも、一緒にサファリをしていても一度もそのような話が出てこなかったからだ。皆がマラの素晴らしさに感動し、マラで過ごす時間を大切にしていた。それは、たぶん旅のスタイルや楽しみ方、考え方が似ていたからかもしれない。そんな気がする。

 午後のサファリは元のメンバーに戻った。二組の夫婦にとっては最後のサファリだった。帰りの飛行機は同じなのであるが、僕のツアーでは明日の朝のサファリもパックに入っており、彼らより1回多かったのだ。いつもの道を下っていく。道の両側でシマウマやインパラがのんびりと草を食んでいた。マサイ村の横を通りオロロロ・ゲートに向かった。ゲートの前には ヌーの角とイボイノシシの顎骨を組み合わせたオブジェが置いてあり、記念に一枚写真に撮った。

 来た時には黄色一色だったサバンナは明らかに緑色を増やしていた。たった四日で大地は様相を変えつつあるのが分かった。降雨によって、大地は劇的に変化を始めたのだ。雨を吸った大地から一斉に植物が新しい葉を伸ばし始めていた。その成長速度はとても速くみるみる緑が目立つようになっていた。初めに持った疑問が解けたような気がした。緑一面に包まれたマラの豊かさが想像できたのだ。ダイナミックに変化する大自然は僕の想像を遥かに超えて大きく過酷で豊かであったのだ。僕は緑に包まれたマラを見たくなった。風に揺れ動く緑の波を見てみたい、そう思ったのだ。

 オロロロ・ゲートを少し行ったあたりで、車は丘を登りはじめた。それは僕がチーターを見たいと言ったからだった。サファリの前にウィリアムさんから、何が見たいかと聞かれ、そう言ったからだ。丘を登って行くと、遠くにヌーの群れが弧を描くように一点の方向を向いているのが見えた。「チーター」とウィリアムさんが言った。ヌーたちの見る先には一頭のチーターがいた。ヌーは明らかに警戒態勢に入り、チーターに対して威嚇していた。チーターにとってもヌーは獲物にするには大きすぎるため、ただ睨み返すだけのように見えた。すると、しびれを切らしたのか敵わないと思ったのか、チーターはヌーに背を向けると走り出し、その奥の林に入った。すると急に鋭い威嚇する声が聞こえた。バブーンだった。突然の声に驚いたのか、チーターは体格の良いオスのバブーンにまで追われ、林から走り去っていった。しかし、その四枝を伸ばして軽快にはしる様は美しかった。

 木立から五、六頭のウォーターバックがスキップするように現れた。全て角のないメスだった。先に進むとバッファローの群れが遠くに見えた。その向こうにはアフリカゾウの群れもいた。僕らはマサイの目を持ったのだ。気持ちは皆そうだった。しばらく行くと平地に出た。剥き出しの灰色の地面を走っていると急に抵抗がなくなり、車は横滑りを始め止まった。「大丈夫か?」とウィリアムさんが、「ハクナマタタ」と僕らが言った。窓から覗いてみると、灰色に乾いていたのは表面だけで、その下の土は黒褐色にぬかるんでいた。クラッチを繋ぐが車輪は空回りする。右に左にハンドルを切ると、ふっと動いたかと思うと尻を振って横向きになった。ウィリアムさんは笑いながら「ハクナマタタ、問題ない。」とスワヒリ語と日本語をミックスさせて言った。とは言うもののなかなか抜け出せない。泥の中にタイヤが埋まって車体が傾く。悪戦苦闘するウィリアムさんには悪いが、右に左に滑る車の中はなかなか楽しかった。何度か失敗が続いた後、車体が上手い具合に水平になった。ウィリアムさんは少し間を置いて一息入れると、気を取り直して静かにクラッチを繋げた。タイヤが空回りするが、僅かにトラクションを感じた。「GoGoGoGo!!」と皆の口から掛け声が自然に起こった。車はまるで掛け声に合わせるかのように、徐々に動き始めた。横滑りは無かった。さらに掛け声は強まる。ふわふわしていた抵抗感が次第に確実なものになっていく。「GoGoGoGo!!」タイヤは泥土を蹴散らし抜け出した。他愛ないことかもしれないが、皆の気持ちが一つになった瞬間だった。

 同じように見えるサバンナも実は場所によって土壌が違い、雨季には湿地帯になるような場所もあるのだ。僕らがスタックしそうになった場所もまさにそんな場所で、粘土質の土が水を含んでいたのだ。車はその後、四駆に切り替えた。勿論一旦外に出て切り替えなければならなかったので、ウィリアムさんの靴は泥だらけになったのは言うまでもない。

 木立の間を抜け進んでいると2台の車が停まっているのが見えた。その数メートル先に数頭のライオンがいた。「何かを食べている!!」僕の気持ちは一気に高揚した。ウィリアムさんはゆっくりと車を回した。そして先着の車の邪魔にならないようにしつつ、良く見えるポジションに停車した。僕らは身を乗り出して写真を撮り始めた。ここでもまた、望遠付きの一眼レフがあったら、と思ったのも確かだった。ふと気付くとウィリアムさんが無線で仲間を呼んでいた。僕らが来た方向からムパタの車が三台、次々にやってきた。すると先着の2台の車は場所を開けるようにその場から離れて行った。たぶんウィリアムさんは先着の車から無線で連絡を受けていたのだと思う。僕らに言わなかったのは喜ばすためだったのだろう。ドライバーは常に情報を交換し、協力して動物を探している。動物を見つけると、すぐさま近くの車に無線で知らせるのだ。そして別の車が現れるまでそこにいて待つこともある。このドライバー達の連携のお陰で、僕らは素晴らしい動物との出会いを体験できるのである。

 ライオンは七頭いて、内一頭は大人のメス、四頭は若いメス、残りの二頭はわんぱく盛りの子供だった。食べているのはイボイノシシだった。僕は興奮して写真を撮り続け、あっと言う間に36枚撮りフィルム一本を使い果たしていた。そして、すぐさまフィルムを入れ替えてカメラを向けた。今度は気持ちも少し落ち着きシャッター・チャンスを待つ余裕があった。次第に冷静になり、感覚が戻ってくる。ボリボリと骨を砕く音が聞こえてきた。イボイノシシの引き裂かれた腹から白味を帯びた紫色の腸が見えた。風が吹くと生暖かい血の匂いがした。しかし残酷さは微塵も感じない。強靭な顎で肉を引き千切るように食べる姿を見ていると、むしろ美味しそうに見えた。大人のメスは食べるのを止め、少し離れた場所に移動した。育ち盛りの子供たちは一心不乱に肉に噛み付いていた。小さな二頭の子供も大きな姉の間に割り込んで食べていた。しかしそこは子供のことである。食べるのも遊び半分で、二頭でじゃれあって遊んでは食べると言った風であった。一頭の子供が、イボイノシシの頭に噛み付いた。食べると言うより、遊んでいるようだった。

 食べると言う行為を見ると、生物の一番生物らしさを感じる。生きるために食べ、エネルギーを獲得する。しかも生物は、成長するのだ。これは凄いことだと思う。この宇宙にあっても、とても特異なものなのだと思うのだ。物質はそのエネルギーを徐々に崩壊させていく、これこそがエントロピーの法則であり、ほとんど全てがこれに則っている。しかし、生物は成長する。つまり、言い換えれば負のエントロピーを食していると言うことだ。それは、食べると言うことに大きく起因し、他から得たエネルギーを内部に蓄え、成長することなのだと思う。当たり前に感じているかもしれないが、生物とはとても貴重な存在なのだと思う。この広大な宇宙にあって、僕らの地球は奇跡的な確立で生命を育んでいるのだ。この素晴らしい地球を僕らは守っていく責任があると思う。僕らが先史以前の行き方をしていれば、そんな責任を負うことは無かったのだろうが、今や人間の活動が大きく地球環境に影響を及ぼしているのは誰もが知っていると思う。その中で僕らはこの貴重な生命を育む地球を守り維持していく責任があるはずだ。

 夕刻の風がマラの滞在の終わりを告げるように涼しく吹いていた。僕らの乗った四駆はのんびりと走り帰路に着いていた。名残惜しいのか、このマラを精一杯感じ取ろうとしているのか会話が無くなり、黄金色のサバンナを皆が眺めていた。車は見覚えのある場所に来ていた。毎朝楽しませてくれたライオンのプライドのいる場所だった。西に傾いた太陽の柔らかなオレンジ色の光の中に、ライオンの親子が見えた。こんもりした土稜の上に穏やかな表情で佇んでいた。三頭の子供は母ライオンの側でとてもくつろいだ表情をしていた。親子の暖かな情愛が感じられた。

 サバンナは静かに暮れようとしていた。

 

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アフリカの水

 車は何度か通った道を心なしかスピードを落として走っていた。僕は眼前に広がるマラをただただ見続けていた。それは他のメンバーもそうだった。マラを離れる時が次第に近づいているのだ。車は滑走路に向かっていた。5日前に降り立ったその場所だ。短い滞在であったが、それは夢のようで毎日が新鮮で美しかった。この広大な自然の中で、ほんの少しかもしれないが、その一部になったような気がした。マラは僕らを静かに迎え入れてくれ、その大きな腕で抱擁してくれた。僕らはその懐に抱かれて、子守唄を聞く子供のように無防備にそして信頼しきって、その体を預けたのだ。マラは本当に優しかった。僕らはその優しさの中で、笑い喜び、感動した。そのマラとも、あと少しで離れなければならいのだ。ロッジを出てからも、ずっと後ろ髪を引かれる思いでいる自分がいるのを感じていた。そして、自分の気持ちを少しでも多く残していきたいと思う自分が確かにいた。車輪の作る轍と共に、自分の心もその大地に刻み付けようとしていたのだ。風に揺らぐ、少し緑色を帯び始めた草原や、低くぽつんと立つ木の一つ一つにまで、動物たちがマーキングするように、自分の気持ちの断片を擦り付けていた。必ず帰ってくる。そう思いながら、マラをその瞳に焼き付けていたのだ。

 滑走路に着く。飛行機はまだ見えない。その場所が、いつも僕らを楽しませてくれたライオンたちの居場所のすぐ近くであるのを初めて知った。そこで改めて、僕らはここではパッセンジャーであるのを再認識した。ここの住人は動物たちやマサイであるのだ。それを知って、何故か嬉しかった。

 飛行機はなかなか現れなかった。どうやら遅れているようだ。特に気にすることはなかった。ポレポレ時間でいれば良いのだ。飛行機が来るまでの間、即席のサファリが行われることになった。車に乗り込み進む。他のロッジの車も一緒だ。進む先にライオンを見つけ近寄る。木陰に数頭の大人のライオンが休んでいた。その中に見るからに立派な体格をしたオスのライオンがいた。その体色は他のライオンと明らかに違って黒ずんでおり、威風堂々、威厳があった。そこから少し離れた場所には子供たちもいた。長く伸びた草むらの中で、のんびりと時間を費やしていた。最後の短いサファリにライオンを見られたのはとても嬉しかった。マラからの最後の贈り物のような気がした。「また帰っておいで!!」そう言っているように思えた。

 飛行機が土煙を上げて降り立ち、ドアから次々に目を輝かせて人々が降りてきた。僕らもきっとあんな目をしていたのだろうなと思った。荷物が降ろされると、代わりに僕らの荷物が乗せられていく。マラを離れる時が来た。僕はウィリアムさんに、また帰ってくることを約束し、握手して肩を抱き合った。彼は既に大切な友であり師であったのだ。それから、お世話になったオフィサーとも再会を約束した。彼女も僕の中ではすでに友人であった。ロッジにいる間にそれほど会話があった訳ではないが、何故かそう感じていた。心の中に同じものを持っている、そんな感じがしたのだ。

 

 ナイロビに着いたのは定刻よりも1時間遅れだった。ツアーが違うので、空港でそれぞれ別れた。それまで一緒だったメンバーと別れ、何となく寂しい気がした。しかし、実際にはそうでもなかったのだ。初めに向かったレストランでも、その次のカレン・ブリクセン博物館、さらにはジラフセンターや御土産屋まで顔を合わせ、最後は空港で一緒になった。おきまりの市内観光コースはツアーが違っていても同じであったのだ。

 初めに行ったレストランはカーニボアと言って、牛や鶏はもとより、キリンやシマウマ、ワニ等の肉をバーベキューにして出すレストランで有名な所だった。そうは言っても、野生動物を獲るのは禁止されているので、それらの肉は全て飼育されたものである。しかし、その飼育にもライセンスが必要なのだ。もの珍しいこともあり、この店は観光客の立ち寄る定番になっている。キリンやシマウマ等の肉は日替わりになっていて、僕らが行った時はシマウマとワニの肉があった。大きな鉄串を通した肉の塊はシュラスコ・スタイルで焼かれ、皿の上でそこから切り分けてくれた。勿論、シマウマとワニの肉も食した。どちらも不味くはない。どちらかと言うと、脂身がなくぱさぱさした感じだった。シマウマは少し癖があるが、嫌味になるほどではなく、匂いが気になる人にとってもマトンよりも食べやすいと思う。僕はマトンやラムと言った羊肉が大好きなので、平気であったのは言うまでもない。ワニはさらにクセがなく、鶏のササミみたいだった。どうやら爬虫類系の肉はどれも鶏肉に似ているように思う。確かヘビやトカゲもそうだと聞いている。鳥類が恐竜から進化したその証を、舌を通じて感じると言うのは考えすぎだろうか?ケニアに来て、とても肉が美味しいのは気のせいではないと思う。確かに肉質は硬いのであるが、味があるのである。噛むほどに肉本来の味を感じられるのだ。個人的に言えば、和牛よりもずっとケニアで食べる牛肉の方が好きだ。霜降り肉よりも、硬く締まったジューシーな赤身の美味しさが好きなのだ。魚で言う養殖と天然の違いに似たところがある。天然の深い旨みは養殖では出せないのだ。もし毎日食べなければならないとしたら、僕は間違いなく、霜降り和牛ではなくケニアの肉を取るだろう。

 最後に寄った御土産屋に入っても、僕はただ見ているだけで何かを買おうと言う気はさらさらなかった。木彫りの動物やビーズのアクセサリーを冷やかし程度に手に持ってみたりするが、それにも飽きて表に出た。すると、店の裏手から美しい歌声がするのに気がついた。何人かの女性が声を揃えて歌っているのである。ゴスペルに似ているが、ちょっと違う。心の底から響いてくるような、大地の声のようであった。ユニゾンではなく、自然に生まれるハーモニーに心が揺さぶられた。惹かれるように、声のする店の裏を覗いてみると、そこには小さな小屋があって、そこから歌が聞こえてきていた。僕はそれ以上中に入らずに、少しの間そこに立って歌を聞いた。楽器の伴奏の無い、人の声だけで作られたハーモニーの美しさが辺り一面に響いていた。

 

 帰りのナイロビ~ドゥバイのフライトは、オーバーブッキングのため、ビジネスシートに座れると言う幸運にも恵まれた。シャンパン・サービスはやはり嬉しい。旅の終わりのおまけには最高であった。

 この旅は僕にとって本当に素晴らしいものとなったと思う。この旅はこれで終わるが、これからの旅に繋がる新しい発見の旅でもあった。マラは僕に自然の美しさや強さだけではなく、色々なものを与えてくれたのだ。その中で一番大きなものは友人だった。ウィリアムさんやムパタのオフィサーもそうであるが、一緒に感動を分かち合ったメンバーの方々と知り合えたこともまたそうであった。前に話したが、それまで旅先では日本人を避けていた僕であったが、この旅を通じてそれが本当に馬鹿げた思いであったのが分かったのだ。こんなに素敵な人達がいるのだと知って、偏屈な考えに捕らわれていた自分が恥ずかしくなった。何も垣根を作る必要など無かったのだ。人を見れば良い。そこに国も人種も無く、パーソナリティーだけがあるのだ。この旅がこれほど素晴らしいものになったのは、やはり共感できる友がいたからなのだと思う。僕は本当にラッキーだったのかもしれない。素晴らしい友人に巡り合えたのは、きっとマラのお陰なのだと思うのだ。マラのその魔力で僕らは感動を分かち合い、さらに増幅させ、友情と親愛を短期間の内に育て上げていたのだ。最後の夜に、ロッジのバーに皆が集まって他愛ないお喋りをした。それまでに旅した場所やエピソード、アクシデントの話しに、笑いが絶えなかった。ゆったりと流れる時間に合わせて、僕らの心も伸びやかになっていた。透明な翼を広げ、僕らは自由に軽快に飛び交い、カクテルのきらめきの間をすり抜け、マラでの最後の夜を楽しんだのだ。

 

 「アフリカの水を飲んだ者はアフリカに帰る」そんな言葉がアフリカにはある。僕はケニアに来る前からその言葉を知っていた。僕はその言葉の響きがとても気に入っていて、必ず飲んで帰ろうと思っていたのだ。それで、ムパタの水道水を飲んだのだった。それと言うのも、ムパタの水道水はマラ川から汲み上げた水を浄化したものだったからだ。マラ川の水と聞いて、飲まない訳にはいかなかったのだ。しかし、オフィサーには飲まない方が良いと言われていた。それは、浄化したと言っても日本の水とは違うので、お腹を壊す恐れがあるからだった。でも、僕の腹は特に調子が悪くなることも無く平気であった。この言葉は何も、水を飲めばアフリカに帰るのだと言う意味では当然なく、アフリカを肌で感じた人はまたアフリカに帰りたくなると言うことである。それは分かっていても、やはりアフリカの水を飲みたくなるのは、帰ってきたいと思う気持ちが強かったからなのだ。 僕のケニアの旅は終わりを迎えたが、それはまた始まりでもあった。 水を飲んだ者は再びアフリカに帰るのだと言う思いがあることで満足だった。僕はきっとまた帰る。それは僕にとって必然的なものとなっていたのだ。

 「Tutaonana Kenya!!(また会おう ケニア!!)」

 僕は心の中で何度も呟いた。

それから、再び憧れの大地に帰ることを誓った。

 「Twende!!(行こう!!)」

 

終わり

05/24/2003

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